夢に年齢は関係ない・・・なお辛く苦しいときも、己の目標に食らいつけ

画像大相撲の東関親方が定年で退職されるそうだ。関脇・高見山大五郎といえば、私が子供の頃は、丸八真綿の『二倍、二倍!』のCMが印象的だった。ハワイマウイ島出身で、昭和39年初土俵。はじめはちゃんこの味になじめず、ケチャップをかけて胃に流し込んだという。その陽気さと相撲へのひたむきさで、多くの日本人から愛された。「40歳まで現役で相撲をとる」と言っていた彼だったが、その1ヶ月前に引退。当時の文相・森喜朗は、相撲好きで知られた昭和天皇に「高見山は残念だったろうな」と言われたという。そのことを森から伝えられた彼は「もったいないです、もったいないです」と巨体を震わせて感泣したそうだ。 横綱・武蔵丸も西郷隆盛公を彷彿とさせる風貌で日本人から愛されたが、“ジェシー”がハワイ勢の先駆となって切り開いてきた、その功績はあまりにも大きい。日本人に愛される外国人に共通しているのは、“日本人以上に日本を愛している”所である。幕内在位97場所は歴代1位。日本人・渡辺大五郎の余生が、穏やかなものであるよう願ってやまない。


水曜日は早稲田で『表現・芸術系演習10~古典芸能の表現』を受講。担当は早稲田大学演劇博物館研究員で常磐津の演奏家、鈴木英一氏である。常磐津とは浄瑠璃の一種で、日本の重要無形文化財に指定されている伝統芸能だ。鈴木氏は、明治の名歌舞伎作家・河竹黙阿弥の子孫である河竹登志夫早大名誉教授の最後の弟子として知られている。歌舞伎では義経ジンギスカン説を描いた『義経三本桜』、菅原道真公の祟りを描いた『菅原伝授手習鑑』、赤穂浪士の討ち入りを描いた『仮名手本忠臣蔵』が三大名作とされているが、これは歌舞伎の原点が“御霊信仰”(非業の死を遂げた人物の荒ぶる御霊を鎮めて災害を除ける)にあり、死者への崇敬を大切にしてきた日本人の想念を表しているという解説には感銘した。鈴木先生は来月、日暮里で京劇とのコラボレーションで三味線を引くという(上写真)。益々のご活躍を祈念したい。



画像土曜は新宿で『早稲田大学食べ放題研究会』の例会。新宿ライオン会館3階『BLUMARE ブルマーレ』にてイタリアンの食べ放題(¥1200)に舌鼓を打つ(写真)。パエリアとピッツアが絶品。今回は学習院、文化女子、そして早稲田からは文化構想学部の留学生の方などが参加。例によって、女子大生の皆さんへの対面鑑定大会となる。ダンサーとスタイリストを目指していると話してくださった方は、お2人とも(当然というべきか)平成生まれ。目標を達成する意志が強く、私のカウンセリングにも真摯に耳を傾けてくださった。今の10代の方は、本当に人間ができている方が多い(いつまでも経ってもガキが多い団塊とは対照的)。この世代は、きっと魂の年齢が高いのだろう。話していると、こちらの方が元気をもらう。夢に向かって真剣に与えられた生命を燃やすというのは、非常に高度な作業だ。日本の未来は、大丈夫である。



画像例会が終わった後は、大学へ行く前に『食べ放題研究会』副幹事長・野添君と友人の小野寺みさきさんと3人で駅前のカラオケ店へ。“羞恥心”のつるの剛士さんが最近出したカバーアルバムから、プリンセス・プリンセスの『』を唄う(写真)。オリジナルはシングル『Diamonds』のカップリングだから、平成元年の発表だ。私は『ザ・ベストテン』などで当時の演奏を観ていたが、先程鑑定をした女子大生たちは、当時まだこの世に生まれ出ていない。そう考えると、やはり歳をとったものだ。つるのさんのP.Vを観ながら、昔のことを思い出す。初恋だった彼女が、この歌を好きでよく歌っていた。当時はまだ子供だったが、この歌の主人公のような思いを自分がさせてしまったと思うと、少し胸が締めつけられる気がする。この詞を書いたドラム担当の富田京子さんは、バンド時代に私が目標にしていた作詞家だ。今年はユニコーンが16年ぶりに再結成してくれたが、解散して既に13年になるプリプリも、いよいよ復活の胎動が聴こえてきている気がする。リーダーの渡辺敦子さんが声を掛ければ、今でも仲が良好だというメンバーは再び集まるだろう。いい音楽(芸術)は、時を越えていつの時代も評価されるものだ。願わくば、もう一度あの頃の夢を見せてもらいたい。




常磐津節浄瑠璃の人間国宝、常磐津一巴太夫(1930~)氏が、日経新聞の『人間発見』欄で、「あと五十年生きて百二十四歳まで常磐津を語りたい」と決意を語った上で、こう続けていた。


四国のこんぴら歌舞伎に出演しましたのが縁で、何度か香川県琴平町の金刀比羅宮にお参りしました。

本殿のそばに神馬が二頭休んでいて、一頭は若く一頭は年寄りということでした。

最初にお参りしてから三年ほど経って再びおじゃました時、年寄りの馬はいなくなっていました。

寿命がきたということでしたが、亡くなった年を人間で換算すると百二十四歳という大変な高齢でした。

私は三〇年の午年生まれで、普段から馬のネクタイをするくらい、馬が好きなんです。

だからそのとき、ようし、神馬が生きただけおれも生きるぞと思いました




前々回の森光子さんの項でも触れたが、人間の夢を実現する執念というのは、必ず奇跡を呼ぶものだ。



肉体年齢をいくら重ねようと、夢がある人の心は瑞々しい。


肉体年齢がどれだけ若かろうと、魂のレベルが高い人の顔は修養に満ちている。




安全な国で、食べ物に困らない社会で、何も自分から仕掛けないのはもったいない。



・・・なお辛く、苦しいときも、己の夢に食らいつけ。


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